色素性母斑治療記録

娘の先天性色素性母斑(生まれつきの黒アザ)、治療記録です。レーザーを5回、分割切除手術を3回受けて、現在、赤い1本線です。娘が生まれた時から、たくさんのブログを読ませていただき、とても励まされました。このブログも、どなたかのご参考になれば幸いです。

生まれた時のこと

7年間、不妊に悩んだ末
授かった子でした。

流産も3回経験し

無事に産まれてきてくれるのか
不安で不安で

とにかく、出産の日を心待ちにしていました。


学生の頃に読んだ
乙武洋匡さんの『五体不満足』という本の中で



乙武さんを初めて見たお母様の第一声が

「かわいい」

だった、というエピソードが
紹介されていました。

それが印象に残っていて


私も、生まれてきた子に
会えたら

もし、その子の身体に何かあったとしても
絶対に「会いたかったよ。かわいいね。」と言おう!
そう決めていました。





ところが
やっと迎えたお産の日

「女の子ですよ~」と
助産師さんに、娘の顔を見せていただいた瞬間

私は

「・・・・」

何も、言えませんでした。




すぐハッとして
「会いたかったよ!
 産まれてきてくれてありがとう」
と、声をかけました。


でも、
娘に会った瞬間、何も言えなかったことを
今でも後悔しています。


初対面の
その瞬間に
「かわいい!」と言いたかった。

それなのに
私の頭の中は

「どうして?
 この子に申し訳ない」

といったことが
瞬間的に
頭を駆け巡りました。




(この時のことを
後悔している分、
それ以後は、

娘とアザについて話すとき、
周囲の人からアザについて聞かれたときも

決して後ろめたい気持ちを持たない
と、決めました。

それは
娘が年長になった今も続けています。


娘が寝ている時や
治療前後に泣いていた時、
全身麻酔から
なかなか覚めなかった時など
胸が苦しくなりましたが

なるべく
母として「申し訳ない」思いは
封印して

娘の痛みや辛さに寄り添うことはしても
アザを後ろ向きに表現することだけは
しないようにしていました。


それは、上にも書きましたが
生後すぐに「申し訳ない」と
思ってしまった
自分への戒めとして、
勝手にマイルールを決めました、、、


娘は2歳で喘息と診断され
喘息での入院も何度もしていますが
その際にも、このマイルールを適用して
娘と接しています)








生まれた直後
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総合病院だったので
小児科の先生も
形成外科の先生も
詳しく診てくださいました。


形成外科の先生が、産後3日目
私の病室にいらっしゃいました。

「すぐさま命に関わるものではない。

しかし、色素性母斑は
皮膚癌になる可能性があるので
いつかは切除しなければならないだろう。

おそらく、1歳すぎからの治療になるかと思うが
こちらの病院の形成外科では
乳幼児のアザ治療は行っていない。

治療の開始時期や、通う病院については、
退院までに我々も調べるが

ご自身でも調べてみてほしい。」

と、言われました。


生後3日
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特に授乳中、
よく見える位置のアザだったので
娘が授乳しながらウトウトと眠ると
アザのことが気になってしまって


娘の寝顔を見る度に



色が濃いなぁ
どうしたらいいんだろう
レーザーで消えるのだろうか?

形成外科の先生は
切除 とおっしゃったけれど
くりぬく手術なのだろうか?
痕が残るのでは・・・?


ぐるぐる
ぐるぐる
考えていました。





(補足
 当ブログは、
 過去のことを振り返って書いています。
 現在、娘は6歳。
 治療は一区切りとなりました。
  ※手術痕は色素沈着しやすいとのことで
   日焼け対策だけは念入りに行っています)
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